箱入り娘

わたしは「箱入り娘」だと思う。

別に深窓の令嬢とかではないのだけど、高校生くらいまで、とても窮屈な生活をしていた。それこそ小さな箱に入れられて蓋をされていたようなもので、その箱には親がよいと認めた物だけが時たま入ってきた。タータンチェックのブラウスだとか、家庭用教材だとか、課題図書だとか広辞苑だとか手作りのおやつとか。

わたしはずっとその箱の中で親が良しとしたものだけを受け入れてきた。それは決して甘やかしなどではなくて、知識の制限や行動の制限、食事の制限も含まれていたので、それこそ「箱入り」と揶揄されたことが何度もあった。

大学に入り、自分で自分の箱に素敵だと思うものを箱の中に入れられるようになった。ずっと親がすべてだったわたしから見た世界は素敵なものばかりで、きらきらして見えたものはすぐさま取り入れた。まるで家を作るカラスのように。そうして出来上がった箱は色とりどりではあるけど、とにかく混乱していた。片付けもままならなかった、なぜなら蓋は閉じられたままで、親が良しとしていることが前提条件としてあったからだ。

箱の中に色んなものを無造作に入れたところで素敵な人にはなれないことに、最近気づいた。ぜんぶを成すことなど不可能に近い。綺麗な色の絵の具だってぐちゃぐちゃに混ぜてしまえば、黒のような濁った汚い色になる。今のわたしはそっくりそんな感じでとてもごちゃごちゃしている。

 

素敵な人になりたい。きちんとこころが整頓されていて、自分の世界がある人。揺れ動いても、戻ってこられる人。自分で自分を選べる人。それに今夜気づいて思わず大きなため息をついてしまった。そしてこんなことに今更気づくなんて、まだまだ人生は長いんだなと思った。

 

木曜日、友達とノリで自己啓発本を買った。淡い色のワンピースがとても似合う彼女は同じ作者の初の著書を。わたしはその作者の二冊目の著書を購入した。タイトルがとても素敵だ、なんて笑いながら。

読んだら何か変わるのかな。箱の中のわたしは期待してないなんていいつつ、すこしだけドキドキしている。